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民謡の伝搬は、大間違いな伝言ゲーム - ???? ???
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民謡の伝搬は、大間違いな伝言ゲーム

民謡の伝搬は、大間違いな伝言ゲーム

すごいタイトルですみませんm(_ _)m。
でも、日本民謡の指導家として様々な民謡に接し、演奏し、指導していく中で、これは決して揶揄ではなく、感心にも似た思いでこう言わざるを得ない気がするんですよ。日本民謡の味方をして換言するなら、だからこそこんなに多様多岐に亘る曲数と趣きに至ったのではないか、いわば「大手柄」じゃないかと・・・

民謡の伝搬で、最も長距離に及ぶ伝搬経路を持つものは四つあります。

長いものから順に、
「ハイヤ」
「追分」
「船方節」
「伊勢音頭」
です。

詳しくは児玉宝謹のポッドキャスト
http://radio.po-di-um.net/
で「民謡の伝搬シリーズ」と題して、三回に分けてそれぞれ二曲ずつ程のかいつまんだものですがアップしておりますので、ご参考に!

この中で、特筆すべき「民謡伝言ゲーム」の真骨頂は「追分」です。
長野県の小諸で発生した「小諸馬子唄」は、そこから北東経路で伝搬したものの殆どが、曲目に「追分」の名を冠しているのに対し、西経路で伝搬したものは「馬子唄」という名を冠している特長があります。
中部から近畿、いわゆる西日本エリアへ流れていった馬子唄は、その曲調の凡そが小諸馬子唄と似ていて、その意味では「伝言ゲーム合格」(笑)と言えるかも知れません。

しかし、
北東経路で伝搬した「追分」は、完全に失格(笑)です。凄まじいまでの変貌を見せ、まるで違う曲と断言すべきものに成り果てているからです。小諸馬子唄が尺八曲なのに、そのとなりの信濃追分はもう三味線曲に変わっています。更にそれは秋田県に入ると、変則付点とでも言うべき非常に複雑なリズムに則って太棹で奏される激しい曲調になり、そこから北海道に渡ると、これまた尺八曲に戻って、あの有名な「江差追分」になるのですから・・・

さて~、これらを一体どう総括すればいいでしょうねぇ・・・

西日本は気候風土が穏やかで、各地の個性といったものはそう強烈ではないでしょう。もっとも、名曲といわれるものは確かに存在しており、文化性に於いて見劣りするような要素など何一つありません。先の「平家が残した日本民謡」で述べている通り、むしろ政治経済文化の中心は西日本であったのですから。そんな中で、他所から伝わってきた唄は、温暖で平和な西日本一帯に住まう者たちにとって、比較的「その通り唄おう」とする意識があったのかも知れず、変えるとしても地名や所作などを自分たちのそれに置き換えたり、好みの節にしてみたりといった範囲の工夫だったのではと・・・

それに比べ関東以北は、
・まず寒いこと。
・豊かな実りをもたらす平野が少ないこと。
・それに代わる山の幸、海の幸などはあっても労働が過酷であること。
・山また山に隔たれて、往来はおろか物資や情報の流通も当然困難で、それは自ずと独特な土地柄や風習を生んで非常に個性的になっていったであろうこと、
などにより、よその唄も「郷に入っては・・・」の喩えの如く、その土地に相応しく変貌しながらまた伝わっていくという行程を、時代を経ながら繰り返すうちに、いまに伝わる各地の民謡となっていったということなのかも知れません。

しかしそれは結果的に「東高西低」と、民謡コンクールの場で一昔前まで揶揄されていた如く、「東もの」の、量質共に非常に高次元な民謡が圧倒的な人気と評価を得ることになりました。あまりの偏りに、東ものと西ものとにコンクールを分ける措置を取ったほど、「名曲」と呼ばれる民謡が数多く生まれています。

本来「伝える」のは正確を期するものですが、「伝わる」のは、自然な成り行きに任すものであり、「正しく伝わらない」とも言えます。ただそのプロセスに於いて、バリエーションが増えていくという面白さはありますよね。例えば同じ一つの言語でも、ヨーロッパ各国各地の言語が、似かよりながら微妙に変化していることが、その証しかも知れません。
日本民謡も、この狭い国土でありながら、現在有名なものだけで1000曲にも及ぶというのは、新民謡で新しく作られるものも含んでいるとはいえ、この「大間違いな伝言ゲーム」の成せる業であるとも言えるでしょう。

ある程度定着した感のある、この「日本民謡」というジャンルですが、さてこれは今後「時間」という横軸に則って伝える、伝わることになります。昔ながらに伝わる節回しが時代に応じてどのように変化していくのか?
日本民謡に関わる者の一人として、非常に興味津々です。